最近、なにかに集中する時間や場所をつくりづらくて困っている。
たとえば仕事。まあそんなはりきって仕事はしたくないが、とはいえそこそこ真面目なサラリーマンなので賃金に見合う働きはしたい。集中できる環境とまとまった時間はちゃんとほしい。
たとえば読書や考えごと。勉強と考えごとが趣味の自分にとって、集中できる環境で黙々と本を読んだり、頭の中にくだらない考えを巡らせる時間は、うるおいを持って生きつづけるための糧だ。
2020年くらいまでは、仕事はオフィスに通っていればよかった。勉強や考えごとは自宅か近所の喫茶店にこもればよかった。
それがいまできなくて困っている。
この4~5年で、自宅にいながらひと通りの仕事ができることを学んでしまったので、昔ほど熱心にオフィスへ通わなくなった。出勤が少なくなり、自宅が仕事場になり、仕事と生活の空間的時間的境界がかなり曖昧になった。
多くのひとにとっても状況は同じで、みんなうまく付き合っているのだろうが、私は下手だ。仕事の合間に家事をこなしているのか、その逆なのか、よくわからなくなっていたりする。
自宅で仕事をするのが苦手だと分かってからは、いままで趣味の時間を費やす場だった喫茶店に仕事を持ち込んでいる。
まあまあ集中はできるが、電話やリモート会議はしづらい。5時間くらいは居座って作業をしたいが、コーヒー1杯で2時間が限界だ。気の知れたマスターがいる近所の喫茶店だったら、3.5時間くらいまでならなんとかなりそうだ。
チェーンのコーヒー屋になると「90分制です」とかなんとか、注文の際にあらかじめクギを刺してくる。まとまった集中時間をつくるために、2軒くらいハシゴしたりもする。なんなんだ一体。
そんな生活に慣れてくると今度は、喫茶店が仕事をする場所だと錯覚を起こしてしまい、どうもくつろげなくなってしまう。
仕事以外で訪れて、本を読んでいても考えごとをしていても、ふと仕事のことが頭をよぎり手元でSlackを覗いてしまう。
それなら自宅でゆっくりと思うが、自宅も同様にここ数年で染みついた仕事場のムードが邪魔をして、ゆっくり考えごとをする気になれない。
5年経って最後にはとうとう、仕事も、読書や考えごとも、どれをとっても没頭できる場所をつくれなくなってしまった。どれも細切れの時間を縫うようにして、中途半端に漫然とこなす状況が続いている。
そこで頭をもたげるのが、じつは数年前の生活に戻るのがいちばん幸せなのかもということだ。
オフィスに通って8時間はたらく。家に仕事は持ち込まないで、空間的時間的なメリハリをつけて暮らす。
ニューノーマルだなんだともてはやされた新しい働き方はあきらめて旧態依然とした生活に戻れば、冒頭の困りごとはキレイに解決するんじゃないか。
あれ、でもそれでいいんだっけ。
ニューノーマルに照準をあわせ組み立てあたりまえになってきた、ここ5年くらいの生活、変えるのもなかなかたいへんだ。
まあ、いろいろ突き詰めて考えていくと結局「働きたくない」に行き着いてしまうので、もうどうしたらいいかわからない。